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津波・原発の最前線〝御前崎〟で、地元密着の災害ボランティア

2011年11月24日

御前崎災害支援ネットワーク会長
落合美恵子さん

 

 

 

 3月11日の東日本大震災ではたくさんのボランティアが活躍し、災害時のボランティアの重要性をあらためて認識させられました。
 静岡県は東海地震が心配されています。そこで、県は独自の「災害ボランティアコーディネーター養成講座」を平成18年から行っています。その講座を受講し、地域で災害支援のネットワークを広げているのが落合美恵子さんです。

~新潟が私を変えた~
 ファイナンシャル・プランナーとして将来の資金相談を行っていた落合さんは、平成16年に中越地震が起きたさい、静岡も地震がくるはず、その時資金プランがきちんと立てられるように現場を見ておこうと、新潟県へ出かけました。
 「あちらこちらを回って、お金はどうしているの、つぶれた家はどうなっているのなど話を聞かせてもらったけれど、多くの人が〝ボランティアの人に助けてもらって〟と話すんですね」
 本来の目的であるはずの生活費や住宅の被害状況の話より、被災者が口にする「ボランティア」という言葉に興味をもった落合さんは、さっそく前述の「災害ボランティア」講座を受講。勉強するほどに、住んでいる浜岡には原発がある、大丈夫だろうかという思いが強くなり、行政に頼るばかりではだめだ、私たち住民もやらなければと、平成19年に「御前崎災害支援ネットワーク」を立ち上げました。
 「当初は講演会などやっても来る人はボチボチ。ところが、この7月に行った群馬大学片田敏孝先生の講演会は超満員。フクシマの惨状を知り、御前崎の人も危機感をおぼえたのでしょう」

~延べ200人が大槌町に出かける~
 4月から8月まで「なぶらプロジェクト」と名付けたチームを組み、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町へ6回ほど行き、住宅地や道路の泥かき・鮭がまたのぼってくるように大槌川の清掃・炊き出しなどの体力ボランティア活動をしました。

 「冷凍魚の詰まったたくさんの発砲スチロールの箱が流されて、箱からはみ出た魚が解けて腐って、あたり一面でものすごい臭いを放っていました。マスクをしてそれらをかき集めて、捨てるんです」と、当時を語る落合さん。
 でも、忘れがたい楽しい思い出もありました。宿泊していたのは遠野市。前半は株式会社YDKの工場でしたが、従業員のみなさんが「ようこそいらっしゃいました」と、歓迎のプラカードを作って待っていてくれました。後半の宿舎は上鱒沢集会所。ここでは近所との交流があり、お別れ会の時、鹿刺しなどの地元料理で別れを惜しんでくれました。

 また、仮設住宅で自殺が多いと聞き、手紙のやりとりで少しでも心がなごんでもらえればと、大槌町の人に手紙を書くことに。9月に入って、「お手紙、書かせてくださいね」と仮設住宅を1軒1軒回ってきました。これは、心のケアボランティア。
 大槌町で被災者とじかに会った落合さんたちは、地元御前崎に災害ボランティアが必要だと痛感しました。
 「被災者に寄り添いながら、体力面・精神面で支えていきたいです。そして、地元での日ごろからの活動も大切。これからも、地元民とのコミュニケーションをしっかりとっていきます。それが、いざという時に生かされるはず。ここは、津波や原発の最先端に位置する所ですから」いざという時がこないようにと願いながら、御前崎にしっかりと根を張りつづけて活動を行っています。

「 Amici 」 NO.41(2011.11)より
(取材:あざれあ交流会議理事 大國田鶴子)