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「グローバルマザーとして生きる」 河村裕美さん(認定NPO法人 オレンジティ理事長)【この人に聞く!】

2018年02月22日

河村裕美さん

河村裕美さん(認定NPO法人 オレンジティ理事長)

特集:グローバルマザーとして生きる
★がんになって感じたこと 

結婚して一週間後、32歳の時、子宮頸がんと診断され、子宮と卵巣、リンパ節を摘出する広汎子宮全摘手術を受けました。それまで病気とは無縁の人生でしたし、その時結婚したばかりで前途洋々たる未来を思い描いていたので、「あなたはがんです」という宣告を受けた時にはすんなりと受け入れがたいものがありました。宣告を受けた後、これからの自分の人生について考えてみた時、不思議と「自分の体はどうなってしまうのだろう」とか「私は死んでしまうのだろうか」など、自分の身体や生死について思いめぐらすことはほとんどありませんでした。それよりも心の大部分を占めていたのは、「夫に悪いな」という思いです。そして、孫を楽しみにしていた双方の両親に申し訳ないという気持ちでいっぱいになりました。結婚生活は、子どもがすべてではありませんが、それも生きていく上での一つの社会的営みです。そのとき、「もう子供を産めない」という事実は、私にとってかなりショックでした。

★患者会オレンジティを立ち上げる

術後は、さまざまな後遺症に悩まされてきました。排尿・排便障害、リンパ浮腫、卵巣欠落症候群(更年期障害)、性交渉の問題(性機能障害)など、術後20年ほどたった今でも、付き合い続けなければならない後遺症もありますし、中にはデリケートで話しにくい悩みもあります。

診断から手術、後遺症など、がんをめぐる一連の体験は、具体的な行程や症状として現れてきます。死生観など漠然としたもの、一般論では語れないものについてではなく、具体的な体験や後遺症の悩みを共有し、生きていく上での現実的な情報交換をしたい、そういう場を静岡にも作りたいと思い、2002年患者会オレンジティを立ち上げました。オレンジティの「おしゃべりルーム」には、子宮頸がんなどの婦人科のがんや乳がんの体験者が集まり、おしっこをどうしているとか、パットはどこのものを使っているとかなど、実際的な話で盛り上がります。

オレンジティの活動を続けている中で必要性を感じているのが、検診の大切さです。現在、子宮頸がんの発症が若年化し、若くして亡くなってしまう人が増えています。子宮頸がんは、検診で早期発見できるというのがWHOでも認められていますが、日本での検診率は20%ほど。そこで、子宮頸がんに特化した啓発に取り組もうと、一般社団法人ティール&ホワイトリボンプロジェクトを2009年に設立し、がんの知識や検診の有効性を普及・啓発するため、講演やイベント、冊子の作成・配布、女性の意識調査の他、子宮頸がんの患者の就労やサポートに取り組んでいます。

★選択肢の一つとしての里親・養子縁組

子どもを産むことはできないけれど、子どもを育てたいという気持ちはなくなりませんでした。代理母や受精卵の凍結なども検討しましたが、莫大な費用がかかるなど、私たち夫婦にとって現実的な選択肢ではありませんでした。

2011年に里親制度に登録しました。結婚前、仕事で児童相談所に配属され、児童福祉司として里親担当として働いたことから、里親制度は熟知していましたし、実際に特別養子縁組のケースワークなども行った経験がありました。手術直後にも、里親になろうかと考えたこともありましたが、病気をした自分が里親になってもいいのか、再発したら子どもの幸せはどうなるのだろう、夫に迷惑をかけるのでは・・・と躊躇していました。年月が経ち、身体も回復し、夫とも話し合い、里親登録することにしました。

その後、特別養子縁組をし、かわいい女の子と私たち夫婦は家族になりました。今、子育ての真っ最中です。

子宮頸がんは、20代~40代の出産・子育てを行う世代に多く、治療によっては子供を産めなくなる可能性があります。医療技術が進歩し、がんの生存率も高くなり、多くの人が自立した生活に戻ることができるようなった現代、治療後のさまざまな人生の選択肢が私たちの目の前に広がっています。

一方で、温かい家庭を必要としている子どもたちがおり、一人でも多くの子どもが幸せに暮らせる支援が求められています。里親・養子縁組は、私にとって、自己実現と社会貢献が結びついた一つの選択でした。

オレンジティをはじめとした活動や私自身の家庭生活の中で、社会的な母=「グローバルマザー」として、新しい家族の形を提案したり、娘の幸せな将来を考えたりしながら、今後もできることから未来につながる活動をしていきたいです。