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山田久美子さん(浜松医科大学非常勤講師)【この人に聞く!:性って何だろう?~動物学からみるヒトのセクシュアリティー】

2016年11月03日

「性って何だろう?~動物学からみるヒトのセクシュアリティー~」
山田久美子さん鳥類と哺乳類で、集団生活をしている動物にはすべて、異性愛、同性愛、両性愛、無性愛の4種類のセクシュアリティーがみられます。さまざまなセクシュアリティーの存在は、動物が群れ生活をするうえで、群れの中で競争を和らげてくれるものです。メスを求めているオスにしてみれば、ほかのオスが同性同士でくっつけば、メスをめぐって争う相手が減るというわけです。
動物は、子孫を残すために性行為をするわけではありません。例えばボノボの性行動を調べると、80%以上が無駄な性行為、つまり子孫を残すのに役に立たない行動をしています。 ボノボの若いメスは、親元から離れ他の群れに入るという生活習慣を持っていますが、新しい群れに参入したメスは、その群れで勢力を持っているメスに近寄り、ホカホカ行動と言われる性行動をします。また、ニホンザルでは、オスが親元を離れて別の群れに入り、新しい群れのオスとマウンティングと呼ばれる性行為をするという行動がみられます。
では何のために、さまざまなセクシュアリティーによる性行動があるのかというと、一番の理由は、群れ生活をしている動物が群れの中に迎え入れてもらうため、他の個体と仲良く生きるためにあると考えられます。人間も同じように、子どもを生産するためでなく、他の個体と喧嘩せずに円滑な関係を築くために性行為をするのです。人間のセクシュアリティーも、他の動物と同じように多様に存在するのは、動物学的に自然なことです。
鳥類でも哺乳類でも、多様なセクシュアリティーは当たり前に存在するのにもかかわらず、同性愛を馬鹿にしたリ邪魔にしたりするのは人類だけだと言われています。
人間が本来持っている多様なセクシュアリティーが圧迫され始めたのは、日本では明治時代からです。そもそも、“異性愛”、“同性愛”というセクシュアリティーを分類する言葉は日本には存在しなかったのですが、明治維新とともに西洋から入ってきました。西洋では、生殖と関係のない同性愛は、キリスト教の教えに反するという理由で排除され、その考え方が日本に入ってきたのです。江戸時代まで、多様なセクシュアリティーは日本社会で容認され、日本人の性行動はかなり自由でした。各時代の文学をみても、「源氏物語」から「好色一代男」、「ヰタ・セクスアリス」まで同性愛に関するさまざまな描写が当然のごとく出てきますし、戦国時代では織田信長や武田信玄、江戸時代では平賀源内の同性愛の逸話も残っていて、同性愛は普通に日本社会に浸透していたようです。実際このような傾向は、日本だけでなく、環太平洋地域全体にみられ、もともとこの地域一帯では、同性愛や両性愛に寛大な文化があるといえます。
それでは、人間と他の動物のセクシュアリティーの違いは何かというと、人間には、フェティシズムやサディズム、マゾヒズムなどの性志向が見受けられることです。そして、これらの性志向は、人間の男性のみが持っています。フェティシズム等の性志向は、生物学的なものではなく、社会的なもの(ジェンダー)から生み出されたもので、近代化以降みられる傾向です。これは、近代化以降いかに男性が社会の中で苦しいジェンダーに縛られているかを示しているといえます。近代化以前は、身分差別が確立されていたため、身分差が性差を凌駕していましたが、近代化して身分差がなくなったため性差によるジェンダーが顕在化しました。そして、“男はこうあるべき”というジェンダーに苦しめられている男性に、フェティシズムなどのいわゆる歪んだ性志向がみられるようになったのです。
ジェンダーには生物学的根拠はありませんが、人間のセクシュアリティーの一部を形成しているのです。